サナエさんの音楽の旅 2

岡山でも有数の進学校に進んだ中学時代の友人が自分の基礎になっていると言うサナエさん。ネットも無い当時、どうやって自分たちの音楽の世界を広げていったのか。
そして、その後のジャズとの出会い。
音楽と歌うことに没頭するサナエさんの旅は続きます。

コジマサナエ(以下、コ)あとは(新しい音楽を知る上で)有難かったのは周りの音楽マニアの男子たちによるとこが大きい。なんでも知っててレコードもいっぱい持ってるような男子。私はもっぱらラジオを録音して「これカッコよかった、これもカッコよかった」ってそう言う子に聴かせると、その子が気に入ったらレコードを買ってくる。さらに好きになると、彼はそのミュージシャンが気になってくるから色々調べるわけ。「だれの影響があるんじゃろう」とか。それを今度は教えてくれる。
当時は今みたいにネットもないから、本。ロッキンオン、渋谷陽一さんのインタビューやラジオなんかを漁っとった。中学生なのに渋谷陽一のトークライブがあれば行くし、レコード屋に行けば店員さんに聴く。みんな自分の体を使ってどんどん情報を集めるからすごい肥やしになるわけ。それを熱弁するんよ(笑)。「あれがかっこええんじゃ!」「あの4曲目がすごい!!」とか(笑)その情熱を受けて音を聴くと、「ウォーーー!!」ってなるじゃん。それでまた広がっていく(笑)だからあの頃の周りにいた男子たちのおかげかなって思う。

サウボナ(以下、サ ) サナエさんがいたのは県内でも有数の進学校だったからインテリの文化系の男子たちの居場所がちゃんとあったんでしょうね。部活男子やヤンキーだけじゃなくて。そう言う環境も恵まれてたのかもしれませんね。

コ そうじゃな。環境はあるかもな。ヤンキーだけじゃなくて、インテリ文化系もかっこいいって言うのはあったから、そうかもしれん。
そうやって小中学高時代に音楽をシェアしていた友達で、高校やめて東京でプロのDJとしてバリバリやっていた子が今、岡山に帰ってきとって、今でも私のイベントでDJしてくれとる。ケンちゃんって言うんじゃけど、彼がある意味、私の先生じゃったんよ(笑)。
レッドツェッペリンのドラムのジョン・ボーナムが死んだ時に「コーダ」って言うアルバムが出たんじゃけど、ケンちゃんに自慢するために、周りの誰よりも早く買って「ケンちゃん、私これ買ったよ、これめっちゃええけえ聴いて!」って(笑)「これが好きなんじゃったら、こんなんもええよ」って教えてくれて(笑)
いまだにそうなんよ、何気なく「サナエちゃん、これ知っとる?」ってリンク送ってきてくれたりする(笑)。それを見て、「今度ライブでやろう…」って。ただ同じことやるんじゃなくて、自分たちも何か、「健ちゃんをビックリさせてやろう」ってアレンジを変えてみたり工夫して、そんなことばっかり考えてみたり(笑)

サ 中学時代にラジオやロッキンオンからの情報を「おい、これ知ってる?」って言うやりとりと同じ感じ。

コ そう!大人になっても同じ!!(笑)

ジャズを知るより先に、知ったこと


サ ジャズとの出会いはどういうものでした?

コ ロックのバンドをやっていたんじゃけど、大学入ってからジャズ研に入ったのがきっかけかな。そのころはみんなから笑われるくらい何もわかってなくて。
ごりごりのジャズをやる先輩に、その頃ボーカルがいなかったので、「じゃあサナエちゃん、定期演奏会で歌って」とかって入れられて。
先輩たちも、自分がジャズも何も知らない初心者だから気を使ってくれて、ゴリゴリのじゃなくてラテンビートにしてみるか、とかやってくれるんじゃけど、基本は4ビート。
私は何も知らないから8ビートで頭を振って歌ってたっていう…。
そういう映像が残ってるのをついこの前、先輩たちから見せられた(笑)
「新しいけど恥ずかしい!!」って。ロックの衣装で、金髪で、ジャラジャラつけて歌っとるんよなあ。恥ずかしくなかったんかな(笑)
まあ、みんな笑いながらも受け止めてくれとったからやれてたんじゃろうな。
そのころは全然ジャズというものをわかってなかったから、「こんな雰囲気?」みたいな感じで思ってたからなぁ。でも誰からも、「そんなのジャズじゃねえ!」っていう先輩はいなかった。
大学外での音楽の仕事では厳しくも優しくも「そんなのはジャズじゃ無い、スウィングしてない」って言われることはあったけど。
でも「じゃけん何なん?」って思っとった。私、性格悪かったんかな(笑)

サ (笑)

コ でも、その後、アメリカ滞在から東京に戻った時に、私の師匠って思っている人なんじゃけど、ギタリストの廣木光一さんに出会うんよ。
廣木さんはそんなことを一言も言わずして音で気づかせてくれるというか…。
廣木さんは言葉でも伝えてくれるんじゃけど、私、言葉ではつい反抗してしまう所があるんよ。「それは違うと思います!」って。普通なら見捨てられてもいいくらいなんじゃけど。

サ 当時でもすごくキャリアのある方ですよね??

コ そう。でも諦めないっていうのかな、「次はいつ演る?」って。なんなら私にとっては神様みたいな凄いメンバーが揃うバンドに私をヴォーカルで誘ってくれたり。
だから私にとって「ジャズがなんなのか」っていうことより先に「ジャズっていう音楽は人間の愛でつくるもんなんだ」ってことが入っちゃった感じ。

サ へえー!泣きそうです(笑)

コ 「なんでこの人はこういう(大きな)人なんだろう?」「なんでこんな(素晴らしい)音楽がこの人の身体から発せられるんだろう?」とかって考えるようになって。
そしたら、「ここでこいうふうにやるから、こういうことを本当に伝えたいから、この人は日夜努力を続けてるんだな」ってことが分かってきて、「もっともっと基本のところに私は戻らなきゃ」って。
日頃の自分の教えているボイストレーニングのクラスで「声を鳴らす」ということをいちばん大切にしているんだけど、ほんの少し前まで気づいてなくて。
そうやって廣木さんや尊敬する先輩たちが「なんでこの人たちはこんなに素敵なんだろう?人間としてすごいんだろう?」「なんでこの人たちの発する音楽も素敵なんだろう?」って思った時に気づいたの。
揺るがない、ここ(胸に手を当てて)があるからなんだなって思ったんよな。
楽器を鳴らすことであったり、ジャズというものを徹底的に掘り下げてきたってことであり、レジェンドたちの音楽を徹底的に分析して、自分の血と肉にする作業をしてきた人だからこそ、自分と向き合うことで人間としても音楽家としても学んできて、だからこんなに素敵な音楽を鳴らすことができるようになったんだって。
だからこんな私とでも最高の音楽を作っていってくれる人なんだって分かったの。
いろんなヒトをいろんな角度で見れるヒトたちというか。

「知ること」は後ろ盾を得ること



サ 当時のサナエさんはおいくつくらいですか?

コ 最初にあったのは17、8くらいかな。廣木さんは多分、11くらい上なんじゃ無いかな?

サ ずいぶんお若いですね!

コ 廣木さんはデビューが早かったからね。すごい独自の音楽スタイルがあるよ、廣木さんは。

サ でもその裏っかわにはジャズの歴史や伝統や先人たちの蓄積してきたものがあるんですね。

コ 歴史や伝統を自分のスタイルに昇華してる人。
で、自分も実際やってみたんよな。まあ、廣木さんたちには及ばんけど、自分なりにやり始めたというか。すると自分の壁にぶち当たる、その繰り返しなんよな(笑)
あの人たちはこんな経験を何百回、何千回と乗り越えたんじゃな!って思った。

サ 伝統と向き合うことで自分の壁が見えてきたんですね。伝統的なものと向き合うって、そういう価値があるんですね。

コ うん…、ヒトそれぞれなんじゃろうけどなあ…。

サ 今までお話を伺ったアーティストたち、どなたも伝統と向き合う時期があるようです。

コ   うん、「知る」っていうことは、自分の後ろ盾を得ることでもあるからな。
うまく言えんのんじゃけど。
例えば歌で言うと、楽しくて楽しくてしょうがなくって、溢れるように歌える時期ってあるんよな。

サ ええ。

コ でもある時に「もうなにを歌っていいのかわからなくなる」ような時期も来る。なんていうか、たぶん、その時の自分に飽きてしまうんじゃろうな。それって、自分の中に詰まっとるものが減ってしまった状態なんよ。

サ 在庫切れになっちゃうんですね。

コ そう。在庫切れ。そりゃ常にインプットはするんよ。
でも、ある程度が知っていたり、分かっていたりすることだったら、なんかもう飽きてしまう。で、そんな時に、先人たちがやってきた「ものすごいこと」、いろんな人を感動させ続けて、影響を与え続けてきたもの、いろんなひとが礎にしてきたものを自分なりにわかるようになって使えるようになると、そこに立ちもどれるってのはあるよな。
「あの人はあの時、なんでこうしたんじゃろう?」とか、そこに立ち戻って、自分でもやってみるとなんか新しいことがひらめいたりする。
ごめんな、うまく言えんなあ(笑)
まあ、「伝統」って言葉がジャズにおいてどういうこと?ってのはあるんじゃけど。

サ そこに立ち戻ると、新しいインスピレーションが湧いたり、出会いがあるんですね。おもしろい。
(つづく)

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