鉄工所の犬、魚屋の猫 坂田明インタビュー1

2月のある晴れた土曜日。キラキラ光る須磨の海を横目に少し緊張してサウボナ姉弟がお迎えに上がったのは神戸グッゲンハイム邸。ど新米オーガナイザーが日本を代表するサックスプレイヤーの坂田明さんにインタビュー。まったくどうなることかと思いましたが、始まってみると終わるのが惜しくなるくらいあっという間の2時間!まるで名人の落語のように縦横無尽に繰り広げられる坂田さんのお話で、音楽ともっと気楽に、そしてもっと仲良く。どうぞお楽しみください。



いつかは終わる。安心して面白がって見てりゃいんだよ


サウボナ:ツアー中のお忙しい中、お時間を作っていただいてありがとうございます。

今日はよろしくお願いいたします。

早速ですが、一般的にフリージャズって難解でとっつきにくいようなイメージもあると思っています。今回のARASHIの岡山蔭凉寺公演ではぜひジャズや音楽にもあまり詳しくないんだ、という方にも足を運んでもらえたら、と思ってるんですが…。


坂田さん(以下敬称略):生の演奏の場合は特に、俺が言っているのは、「みなさんこれは電車の窓から見える風景と同じですよ」と。

風景に意味を考える人がいますか?

こんな風に山を削ったらこうなるんだ、とかね。それはあるかも知んない。

でも普通風景って言ったら、ただはーキレイだな、とかすげぇ風景だな!って思う。で、この風景の意味が分からん!そんな人はいない。で、電車は必ず止まるんだよ。


サウボナ:いつかは終わる?


坂田:そう。いつかは終わる。

だから安心して乗ってなさい。というのが俺の一つの考え方。


サウボナ:でも電車って転覆することだってありますよ?笑


坂田:そラァ、まあ、残念だったね、ってこと笑

例えば鉄工所の犬、魚屋の猫。

鉄工所の犬はあのガンガラガンガラっていう騒音の中で寝てる。

そりゃなんでだってこと。慣れればなんてことないってこと笑

魚屋の猫。いつも泥棒する猫だって腹一杯だったら全然関係ないって顔で魚屋で寝てるわけだよ。

ね?慣れて普通になっちゃえば寝れるんだよ。

子供なんかフリージャズ聴きながら寝てるよ。

そういうことなんだよ。ものを考えている大人が大混乱して「これなんだろうか?ああこんなもの聴いてられない、サヨナラ!なんてさ。そうじゃないんだよ。面白がって見てりゃいんだよ。っていう側面が音楽にはあるんですよ。


人が住むところには風景があり、音楽は風景と共にある


だから民族音楽なんて聴くと、ある風景とかが浮かんで来る。例えばモンゴルの音楽なんて聴くと草原の風景が浮かんできて、ゲルの生活が浮かんできたり。まあ俺は行ってるから余計に分かるんだけども。アフリカにいきゃあアフリカの風景が浮かんで来るし、ヨーロッパの音楽聴けばヨーロッパの風景が浮かぶよね。教会の風景とか、街並みとか。

そういう人が住んでるところに音楽があって、人が住んでるところには必ず風景があるんです。

で、音楽は風景と共にあるんで。切り口をそのように戻す。

意味のある人たち、能書きを言う人たちは能書きを言いたいから、自分でいろんな理屈をつけて、それを偉そうに仕立て上げるんだよ。それ読んでありがたがるんだよ。バカヤローだよ。

だから例えば、音楽の置かれてる状況がどういう状況かって、それは音楽そのものではなくて社会学だから。

ね?だから社会学を音楽と混合してはいけない。

もちろん音楽は社会とともにあるんで、ともにそれを考えるのは必要だけど、それは音楽を聴いているときに考えるのではなくって、そうじゃない時に考えればいい。音楽を聴いてるときには音楽に身を委ねる。一切のものを取りはずして、スッポンポンで委ねるっていうことなんですよ。

そうすれば体のどこかが反応するんですよね。


サウボナ:おおお!


坂田:うん。するんだよ。


サウボナ:へぇーーーーーーーっ!!!



「私の魂は揺れています」音楽は魂の乗り物


坂田:音楽の側面はもう一つあって…

音楽は魂の乗り物だっていうんだよ。


サウボナ:おおおおおおお!


坂田:言霊って知ってるよね?


サウボナ:はい。


坂田:言霊って言葉は知ってるかもしれないけどね、言霊の本当の意味ってのは何かっていうと、本当に言葉には魂がこもっているから。

例えば、君たちの、えーっとなんだっけ?

(とお渡ししたサウボナの名刺を見る。)


サウボナ:サウボナ、です。


坂田:そうだ、サウボナね。

あなたのことが見えています。ってことだってさっき説明してもらったけど。※1

砂漠の中をずーっと歩いてて、ひとりで砂と空と星と、みたいな日をずっと送ってて、向こうから人が来た。人の顔か見えた、ってことだよね?確かにさ、そういう人たちが言う言葉の中には、本当の気持ちがこもってる。

僕は日本の先住民であるアイヌと友達で長年付き合いがあるんだけども、彼らから教わった言葉は「イランカラプテー」っていうんだけども、沖縄の「めんそーれ」と同じなんだよ。めんそーれってみんな知ってる?


サウボナ:こんにちは、でしたっけ?


坂田:まあ、こんにちは、だね。よくいらっしゃいました、とかね。本当にね、丁寧に挨拶する時には、「ヤイ コシラム スイ エ」って言うんだよ。

これは「私の魂は揺れています。」っていう意味なんだよ。


サウボナ:おおおおおおお!!

すごい面白いですっ!


坂田:それは「考える」っていう意味の言葉なんだよ。

先住民にとって考えるっていうのは考えるっていうのは自分の魂を揺らして考えるということだから、大変なことなんだよ。

ペラペラ考えてるんじゃないんだよ。

思いっきり考えてんだよ。必死で。

だからそういうものが言霊っていうもので、その人たちが「今度うちに遊びに来なさい」って言って、もし「はい」って言ったらそれは必ず行くってことなんだよ。向こうは必ず呼ぶってことなんだよ。

引っ越しをして、ハガキで「引っ越しました。こちらの方へおいでになることがあったらぜひうちを訪ねて下さい。」なんて書くでしょ?それは社交辞令であって、本当に来られたら困っちゃうんだよ。でしょ?

それは言霊ではなくて「言葉のレトリック」ですよ。

言霊というのは魂がこもってる。

白川静っていう人がいるんだけど、「漢字」という本がある

「言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」ということなんですよね。

その言霊というものに対して、音霊、というものがあるだよ。


なぜ俺たちはエディット・ピアフのフランス語の歌を聴いて涙が出るのか。アマリア・ロドリゲスのファドみたいなものを聴いてなぜ悲しくなるのか。それは歌ってる本人が自分の母語で、魂を揺らして歌ってるから。入れた魂が声に乗って人に伝わって、相手の魂をうりゃうりゃって揺らす。


サウボナ:おおお。(もはや大きく頷くしかできなくなってる)


坂田:だから音楽は魂の乗り物なんだ。



好きになりたけりゃたくさん浴びる



そういう音楽は「魂の乗り物だ」っていう側面と「風景である」という側面と、横軸と縦軸みたいなもんなんだよ。

音楽に魂が乗ってるっていうことを、みんなどこかで感じるでしょう?

自分の好きな音楽。ね?

嫌いな音楽はもちろんあるし、分からないと思ってる音楽もいっぱいある。

分からないって思うのは、考えるから分からなくなる。

だから考えないで、それを風景だと思ってぼーっとしてればいい。寝たけりゃ寝ていいし。終わるまでそこにいて何も残らなければ、まぁ「ま、いっか」ってね。

別に無理やり好きになる必要はない。

好きになりたいなぁ、って思うんなら何回か聴いてりゃ好きになる取っ掛かりは見つかる。


サウボナ:その取っ掛かりを見つける感覚は今回ちょっとつかめた感じはします。


坂田:つかめた?

たくさん浴びるってことが大事だよね。浴びる。

だから風呂の水をおんなじなんだよ。


サウボナ:わははは!文明とか音霊の話から風呂の水の話になるとは!


坂田:そうそう、そういうことなんだよ。

だから一方は非常にヘヴィな話。片一方は非常に軽い話。

いろんなものはね、重層的になってる。世の中はね。(つづく)

Sawubona Music

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